アトリエDEFの家3 手仕事
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アトリエDEFの家3 です。
数名のお客様、OB様に好評をいただき、もっと書くように言われてしまっています。うれしい反面プレッシャーを感じます!
さて本題、我社の家づくりは木造とか在来工法?というカテゴリーに位置するつくりかたになるはずです。
在来工法というのも訳のわからない言い方で、かなり幅があると思うんですけど、伝統工法に近いという言い方も大げさになるので、まー在来工法ということで良いです。
便利な新建材と接着剤を使える部分がかなり少ないDEFの家づくりは、自ずと職人さんの手仕事に相当の部分をゆだねることになります。
例えば大工さん。
これはかなり年季の入った鉋(かんな)です。
この鉋で柱の表面を削り磨きます。
大型のプレーナーとかベルトサンダーという機械でも同様の作業は可能ですが、鉋で仕上げた木の表面はぜんぜん違います。
こうやって刃の出具合を調整し、削る量や仕上げの具合を調整します。刃が命なので砥石で研ぐ作業も欠かせません。
いい仕事をするためには、良い道具と手入れが絶対条件です。
良い職人さんは道具をとても大事にします。
材木の接合部は、手刻みで加工します。
在来工法といってもほとんどの場合、この接合部の加工はプレカットという機械刻みで行なわれます。全然早いです。
DEFは手刻みにこだわります。
手刻みをする以上は、鑿(ノミ)や鋸(ノコギリ)といった道具も必ず必要になります。これも切れ味が悪くなれば研いだり目立てをしないといけません。
余談ですが、若い大工さんの中にはカンナもノミも使えない?使ったことが無いという方が多いそうです。年配の大工さんでも久しぶりという方が多い昨今です。
材木の加工に限らず手仕事にこだわるわけは何でしょう? 機械で加工したって見た目はそんなに変わらない。はずです。
特にシロウトのお客さんにはほとんどわからないはず!です。(失礼ですが・・・)
たぶん、ものづくりの精神だと思います。
職人はものづくりがしたいから職人になっているはずです。そして良いものをつくりたいから、腕を磨き道具を手入れし熟練になって行きます。
ところがどうでしょう。その腕を発揮できる仕事、腕を磨く場所が今の家づくりの世界には見当たりません。建材を切って、せいぜい釘打程度、あとは接着剤で貼り付けておしまい。
そんな仕事には「手仕事」でこだわる部分なんかありません。
(いかに早く現場を終わらせるかという部分については相当にこだわりを持っているようですが・・・)
当然仕事は粗くなり、職人魂を注ぎいれる余地が無いのです。
「やっつけ仕事」とか言います。
自分の家が「やっつけ仕事」でつくられたらどんな気持ちでしょうか?
アトリエDEFの現場監督と職人さんの間には、険悪なムード漂う場面が良くあります。その多くは「勝手な仕事」に起因することが多いようです。どういうことかというと、職人が自分の判断でデザインとか収まりを無視して何かをつくってしまう場面です。職人的にこっちのほうが良いよ!という仕事です。明らかにノッてる証拠です。楽しいらしいです。
まーこういう時の場のおさめ方は非常に難しいわけですが、図面どおりにやり直しというときはこちらも心苦しい結果になります。
でもそれぐらい自分のつくるものに自信を持って、気持ちを入れてくれるというのは本当に嬉しいことです。
よく職人さんは話しづらいとかコワいといわれますが、彼らにしてみれば、目の前にいるお客さんを言葉巧みに喜ばすのが仕事でなく、目の前にある仕事の結果でお客さんを喜ばせたいのが本音なはず。奥ゆかしいのです。
世界に例を見ない日本の木造建築の技術は、合理的な考えによって消えていこうとしています。職人の手仕事も同じです。
いろいろな工法や性能の情報があふれていて、数値や理屈で論破して、その先に良い家が出来上がるかのような妄想を抱きがちですが、よく考えればそれを現場で仕上げるのは職人の腕です。どんなにすばらしい数値を持った断熱素材でも、隙間だらけに充填したら本末転倒。笑っちゃいます。
手仕事が未来につながる家づくりをしていきたいと思います。
先日行った伊勢神宮の内宮への入り口の宇治橋の欄干です。11月3日に完成したばかりです。
写真ではうまく写っていないと思いますが、未明の小雨で濡れていて、水滴がびっしりとついています。手かんなで仕上げたヒノキの欄干は、水も染み込めないほどツルツルというわけです。
スゲーです!
kojima