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『平和と平等』~SDGsのゴールと被爆者の思い~中村紘さんの講演
- なおばー
- 八ヶ岳営業所
こんにちは。なおバーです!
だいぶ久しぶりのブログになってしまいましたが、元気ですよ!!
最近春になったからか、食べ物が前よりすごく美味しく感じるようになって、目の前にあるものをひたすら食べてしまいます〜。
美味しい、春、万歳。
先日、アトリエデフ八ヶ岳営業所のモデルハウス「循環の家」で中村紘さんの講演会が行われました。
語り部である中村紘さんは千葉県八千代市原爆被爆者会長であり、
核兵器の脅威や平和の尊さを語り継ぎ活動されています。
中村さんは2歳九ヶ月で広島で被曝され、お母さんからは当時のことをあまり聞いていなかったそうです。
聞いたらお母さんは一言、
「あれは地獄だ」
と言ったそうです。
広島で1945年8月6日・8月9日、歴史上はじめて原子爆弾が使われました。
広島にはウランを使用した原爆が投下され、長崎にはプルトニウムが使用された原爆が投下され、莫大な被害が出ました。
当時の科学力で広島で14万人、長崎では7万人の方が亡くなっています。
写真の原爆より今の原爆はもっとスマートになっており、ロシアがもし原爆を3発落としたら北半球が全滅する威力だそうです。
そうなったら、環境問題をなんとかせねば!と言ってる暇すらなくなりますね。。。
こちらはある人の経験談だそうです。
8時10分、お母さんと2人でお家にいました。子どもははしゃぎまわり、平和な雰囲気です。
その5分後、原爆が投下され、爆風で家が吹き飛び、瓦礫の下にお母さんが下敷きになり、体中血だらけ抜け出せません。子どもはなんとか無事です。
一瞬にしての地獄絵図。
子どもはお母さんを助けようと必死になっていました。
しかし、原爆の熱線や周りの家の火が燃え移って、お家も燃えそうになってしまいました。
当時の家はほとんどが木造建築ですので、今よりずっと燃え移りも早かったそうです。
このままだと、お家も燃えてしまいます。
するとお母さんは言い出しました。
「ここはもういいからあなただけでも逃げなさい」
何を言い出すのかと。子どもは必死にお母さんを助け出そうとします。
お母さんは叫びながら子どもに逃げるよう伝えていたそうですが、
やがて、静かな声で言ったそうです。
「お父さんとお母さんの残した足跡を未来に繋いでほしい」
その静かな言葉を聞いて、子どもはお母さんから離れていったそうです。
今、戦争を経験された方々の高齢化により、戦時中の話を聞く機会もなかなかありません。
語り部の方々は戦争という辛い経験をされましたが、戦時中のことを風化させてはいけないという思いで活動されています。
中村さんは
「被爆者が目指すものとSDGsが目指すものは同じ。それは平和と平等。」
とおっしゃっていました。SDGsを通じて本当の平和を求めています。
今ある平和を大事にしながら、私たちもSDGsを通して、「平和と平等」を考えていきたいです。