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「のさり」をいただく。水俣マーマレード
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いつも何かを炊いています。
炊いている時って無心になれていいですね。
今回は、いただき物の甘夏を炊きました。
果皮も一緒に炊くとマーマレードになります。
薄皮と種は、とろみを付けるためのペクチン抽出用。
この甘夏は遠く、熊本県と鹿児島県にまたがる不知火海を望む水俣からやってきました。
今、水俣と聞いて日本四大公害のひとつである水俣病を思い浮かべる方はどのくらいいらしゃるでしょうか。
私の手で皮を剥かれ、砂糖と一緒に煮詰められマーマレードになったこの甘夏は、水俣病患者であり語り部としても多くの人に水俣病の現実を伝えてこられた、故 杉本栄子さんと夫の雄さんが始められたみかん山の甘夏です。
水俣病が公式に確認された1956年当時、チッソ水俣工場がメチル水銀を含む排水で不知火海を汚染したため、漁で生計を立てられなくなった漁業関係者の中には、甘夏などの栽培を始める人が多くありました。
しかし、果樹栽培で使用した農薬が水俣病で侵された身体をさらに痛めつける事態が多くなり、杉本さんの「毒(水銀)で肉親を奪われ、健康を失った者が他人の食物に毒をかけられますか!」という言葉が水俣の農業のあり方を変えるきっかけとなり、柑橘類の無農薬有機栽培、産直を始める農家が広がっていきました。
杉本家のみなさんは現在も「人の口にはいるもんに毒は入れたくない」との信念を受け継ぎ、みかん類は無農薬有機栽培で、すぎもと水産の乾燥ちりめんは添加物不使用でつくられています。
水俣病が化学メーカーのチッソ水俣工場が不知火海に流したメチル水銀で魚介類が汚染され、それを食べた人に現れた中毒症状であると公式に確認されたのが1956年5月1日、しかしチッソによる水銀を含む排水流出がほぼとまったのが68年5月。国が公害病と認定したのも68年です。
人間が排出した毒は、約12年もの間、不知火海とその沿岸に生きる生物たちに負の影響を与え続けました。そしてその影響は未だ続いています。
かつて魚の湧く海と称されたほどの不知火海では、一定濃度以上のヘドロを湾内浚渫、湾奥に埋め立てた影響か、漁獲量は年々減っています。
水俣病の国の基準による認定患者は2千人を超えます。また、未認定でも国の救済策や訴訟などで約7万人の被害が認められました。
現在も続く水俣病互助会訴訟は、控訴審が結審、福岡高裁での判決は2020年3月13日。
過去の公害病では決してない水俣病。被害者を掘り起こすために2009年、2011年と水俣大検診が行われました。未受診の理由を2009年の検診では、受信者の約42%が差別を理由に挙げておられ、約41%が情報不足を訴えられています。
メチル水銀で健康を奪われた人々とそのご家族を、さらに苦しめたのが無知と無理解による差別でした。公害病を出さないことはもちろんですが、被害者に鞭打つような偏見と差別を自分自身や近くにいる誰かが行わないためには、問題そのものを「知る」ことが大事だと思います。
そして、「知る」に至るには「なぜ、どうして」と思うこと。
私が今、ちょっぴり苦くて甘い、おいしいおいしいマーマレードを安心して食べられるのは、この甘夏が無農薬有機栽培だから。じゃあなんで、無農薬有機栽培なの?どこからどうやってこの手に来たの?
買って終わり。使って終わり。捨てて終わり。の大量消費が生み出す苦しみがあるということを知ること。
「知る」の次は「考え」てそのまた次は「動く」へ。
そうしてずっと「のさり」をつなげていきたいです。
※「のさり」とは水俣の漁師言葉で「天の恵み」という意味。