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蕎麦はいつから食べられていた?
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おはようございます!けろろです~
ようやく秋がやってくるかな?と思うと、蝉がまた鳴きはじめたり、30℃を超えたり、、。
コンポストの土を混ぜているとカブトムシの幼虫が出てきて、とても元気でした笑
まだ日差しが強い日も続くが、秋野菜をそろそろ植えねば、、、!!!
そして、信州のこの時期植える野菜といえば、、、「野沢菜」。
先日しゃちょーが野沢菜用の畝を作って下さって、
ななみんとたまちゃんが種まきしてくれました^^
ありがとうございます♪
今年も美味しい野沢菜漬け作るぞぉお!
さてさて、話は変わり、蕎麦の花が満開となり、香りが強くなっているこの頃。
私はふと思ってしまいました。
そもそも蕎麦っていつから食べられていたんだろうと。
こうなってしまったら調べていくしかない!
まず最初に気になるところは、、、ソバの出身地!
ソバといえば「日本」というイメージがあるなあと思いながら、遡ってみる。
そうすると、ソバは中国西南部の三江併流地域で生まれたという情報が!!!
しかも、なんとこちらを発見したのが、日本人である「京都大学 名誉教授の大西近江氏」。
では、日本から離れた中国からどうやってソバは日本にやってきたのか。
日本には約3,500年前の縄文時代後期には関東へ伝わったと言われています。
しかし、どのような経路で日本へやってきたのか。
今考えられる経路は、
①朝鮮半島から対馬、②中国から北九州、③シベリアから北日本の3つの説とのこと。
その中から、対馬栽培種は日本の栽培種の中でも最も原種に近いらしく、①が有力!?
とは言え、無事、縄文時代に日本へやってきたソバ。
しかし、今私たちが食べている“ソバ”「蕎麦切り」が誕生したのは室町時代後期。
そして、蕎麦屋が誕生したのが江戸時代になります。
“ソバ”が日本で栽培され始めてから、麺となって食べられるようになるまで約1,000年ほど?では、どうような経緯で、今の“ソバ”が誕生したのか、、、。
“ソバ”がつたわり、育てやすいこともあり栽培し始めた後、初めは麺ではなく、
実のままかゆや雑炊として食されていたとのこと。
なぜかというとその時代の日本では、“粉にする”という技術がまだなかったんです。
現代に生きる私たちにとっては、当たり前となっている技術。
その技術が伝わったとされているのが鎌倉時代。
現在の中国へ留学していた僧が持ち帰った「水磨様」という設計図がきっかけとなり、
製粉する技術が伝わりました。
その時代になぜ“実を粉にする”ということがなかったかというと、
日本ではそもそもお米や麦を食べていたため、必要がなかったようです。
製粉技術の伝来により、今まで実のまま食べられていた“ソバ”が「蕎麦がき」や「団子」として食べられるようになります。
そして、1,500年頃に寺社の会席料理の締めとして出された料理のひとつが「蕎麦切り」。
今ではその時代の蕎麦を「寺方蕎麦」と呼ぶようになりました。
そこから江戸時代に蕎麦屋ができて、蕎麦打ちの技術やつゆが進化していき、
現代の「蕎麦」となりました。
調べれば調べるほど、植物の種、人の流れ、歴史的背景など興味深い、、、!
そして、何千年、何万年前までのことが今、そしてこれからもどんどん新たにわかってくることがあると思うとワクワクしますね。
過去か未来のどちらかにいけるという選択肢があったら、必ず過去に行ってみたいです!笑
まだまだ奥の深い蕎麦の歴史。
次回、もう少し掘り下げてみる!?!?
以上、けろでした🐸
【参考資料】
ほしひかる 「蕎麦のひみつ 知識・愉しみかたがわかる本 伝統食の文化と歴史超入門」
株式会社メイツユニバーサルコンテンツ 2023年3月