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つくばいってご存じですか?
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つくばい(蹲、蹲居)とは?
茶庭に設置されるもの。茶室に入る前に、手を清めるために置かれた背の低い手水鉢に役石をおいて趣を加えたもの。手水で手を洗うとき「つくばう(しゃがむ)」ことからその名がついたそうです。
洒落っ気ありますね。
茶室系は基本、かがみあんばいですね。入り口の躙口(にじりぐち)も狭いですしね。
もともと茶道の習わしで、客人が這いつくばるように身を低くして、手を清めたのが始まりだそう。
茶事を行うための茶室という特別な空間に向かうための結界としても作用したんだそうです。
自分は特に茶道をしているわけではないのだけど、建築が好きなので、この「つくばい」という単語を知っていました。
京都にある龍安寺がとても好きで、京都に行った際には必ず寄っています。(って言っても3回だけだけども)
龍安寺は、石庭(方丈庭園)が有名ですよね。
私も初めて行った時は、それ目当てでした。
たしかに良いです。
大小15個の石が並んでいて、白砂の砂紋とあいまって、なんとも言えない空間になっております。
この石はどこから見ても14個しか見ることができないみたい。ホントなのかな?ってやってみた事ある人は沢山いるのではないかな。
1回目は中学校の修学旅行でしたね。
その時は自分が建築の仕事につくなんて知らなかったので、建物とかは、あまり記憶には残ってなかったなぁ。
2回目は大人になってから。
20代後半だったような。
今度は石庭も見たいけど、建物も見てみようと思って。
行った季節が5月ころだったのだけれど、まず良かったのが、その龍安寺境内のお庭。
新緑の季節も相まってなのか、絶妙な木の配置と、緑のモサモサぐあい。向こう側が良い感じに隠れている動線。
たまらん感じです。
そして建物を見に来たので、改めて、龍安寺の建物。
お寺というと、皆さんがイメージするのは、でっかい木の材料をふんだんに使い、豪華絢爛みたいな感じがあるかもしれないけど、龍安寺はシンプルです。
梁などの材料の寸法も大きすぎず、小さすぎずで、架構もシンプル。
スッキリしているけど、かと言って簡素でもない。なんとも言えない感じです。
まぁ建物見ている観光客はあまりいないのだけど…
で、この時も「つくばい」の事は知ってはいたのだけど、かる~く見る感じでしかなかった。
で、3回めの龍安寺
この時は「つくばい」目当てでしたね。あたらめて。
龍安寺のつくばいは、徳川光圀公からの寄贈品らしいです。
水戸黄門の。
最初に書いたように、手をあらう水をためる部分がある石という前提のうえで。
龍安寺のつくばいは、水をためる部分が四角い。
四角いというか「口」という漢字というか、漢字の部首であらわしている。
なので、上の写真を、上の漢字から時計回りに読むと
「吾」 「唯」 「足」 「知」
の漢字四文字。これを読むと。
「吾れ唯だ足ることを知る」
「知足のものは貧しといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧し」
禅の格言との事。
洒落っ気がすごい!!
この、足るを知る。いろいろな解釈の仕方があるみたいです。
『身分相応に満足することを知る』といった、どちらかというと上から目線な考え方。
なんかちょっとイヤですね。
でも、元々この吾唯足知は、『老子』の中での
知人者智、自知者明。勝人者有力、自勝者強。
知足者富、強行者有志。
不失其所者久。 死而不亡者壽。
この一節。上から2段めの1番左の部分の、「知足者富」に由来しているとの事。
この全体の文章の現代語訳は
他人を理解する事は普通の知恵のはたらきであるが、自分自身を理解する事はさらに優れた明らかな知恵のはたらきである。
他人に勝つには力が必要だが、自分自身に打ち勝つには本当の強さが必要だ。
満足する事を知っている人間が本当に豊かな人間で、努力を続ける人間はそれだけで既に目的を果たしている。
自分本来のあり方を忘れないのが長続きをするコツである。
死にとらわれず、「道」に沿ってありのままの自分を受け入れる事が本当の長生きである。
長いですね。
ただ、「知足者富」の部分で言うと、上から3段落目の事なので、
「満足する事を知っている人間が本当に豊かな人間で、努力を続ける人間はそれだけで既に目的を果たしている。」
龍安寺のつくばいで書いてあるのは、前半のみ。
後半もちゃんとあると通しての意味がわかるような気がする。
「現状であるモノに感謝をする。無いものに文句を言っても何も変わらない。
ただ、それをふまえて、さらに努力できる人は目的に達する事ができる。」
最近違う場所で得た言葉にも似ているなぁと感じた。
「大切なのは何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである。」
みたいな感じなのかな。
たぶん、この事を水戸黄門様も言いたかったのではないのかな。
まさか、龍安寺からの、つくばいからの、老子で話が終わるとは思ってもみませんでした。
でも、凄く良い言葉ですね。
まる。