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梅雨の雨は、慈雨である。
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こんにちは!
マーケティングの山口です。
今日の八ヶ岳は、朝はしとしと降ってた雨がざーざーと激しく降っています。
今日から八ヶ岳エリアも梅雨入りなのか?
梅雨入り坊やが、梅雨を入れてくれたのか?(某国営放送の番組より)
梅雨を喜べない時期も昔は結構ありましたが、今は、
「雨だ、雨だ、恵の雨だ!よくぞ振ってくれた、雨!」
と、雨を褒めてあげたいくらいに嬉しいです。
こう思えたのは、畑をやり始めたからかと。
当たり前のことですけど、水がないと野菜は育ちません。
野菜が育たないと、わたしの暮らしも成り立ちません。
そして、ズボラなわたしにとって雨は最高のお助けマン。
野菜にとっては、ヒーロー的存在かもしれません。
といっても雨に頼りっぱなしなわけではありませんよ。
雨のない時は、近くの川から水をくんで撒きます。
その水は、山に降った雨や山が蓄えた地下水の湧き水だったりと、
元はやっぱり雨。
こうして考えると、わたしの口に入る野菜は
「雨」からできているといっても過言ではありません。
この時期の雨は、山にとっても恵みの雨。
梅雨が開けると山は、
光が透けるような青々とした葉っぱが美しかった新緑から、
緑が一気に深くなり、生き生きと変化していきます。
降った雨は、山の土で濾過され、地下水として溜まり、
湧き水になって流れ出し、川を作り、
里山を通って、海へと流れていきます。
その流れの中で、水は多くの生き物の命を育んでいます。
水を通さずして生まれる生物は今のところ、菌や微生物を除き、
地球上にはいないそうです。
遥か昔、紀元前600年ほど前の古代ギリシャでは、
「万物の根源であるアルケーは水であーる!」
と説いた哲学者がいました。
哲学の創始者とも呼ばれているタレスという自然哲学者です。
実際アルケーはそう単純なものでなく、
現代ではエネルギーなんて言われているようですが、
今ほどの知識や情報もなく、また文化や多くの学問が発展していなかった時代に、
そう感じ、そう説いた背景には、人が五感で感じたものや実際あった出来事の検証、
そして、心が動いた感情など、いろんな要因があったのではないか?と、
勝手に想像しては、ロマンを感じずにいられません。
同じ時代に、アルケーは「火」や「土」などと説いた別の哲学者たちもいますが、
もっと世界は複雑にいろんなものがバランスを取り合って
カタチ作られていることを知っている今のわたしたちがいるのは、
そんな彼らの熱い議論や哲学があってこそ。
真理や本質を捉えるには、自然は欠かせないとつくづく感じてしまいます。
さてさて、水が豊富にある日本。
わたしたちの元にたどり着く水はどこからくるのでしょう。
水道?コンビニ?
それも正解だと思います。人は水を飲まないと生きていけない。
じゃあ、その前は?
そして、お風呂に入ったり、食器を洗ったりしたその後はどこに行くの?
ここで多くを調べ語ると、もはやブログが終わらないので割愛します。
(もう十分長々書いてるかもしれませんが・・・)
これから続く雨で、お出かけが潰れてしまった日の午後は、
ぜひゆっくりコーヒーでも淹れながら、
まずは、そのコーヒー豆に落とすお湯から
思いをはせてみてはいかがでしょうか。