kanto
動く木の家の豊かさ
- アトリエDEF
- 八ヶ岳営業所
好きな建築家とその本の話。
それと、ちょっとだけ、デフの話
(House Luzi 2002年)
二軒の家はいまゆるやかに乾いていって、木材が縮みつつある。今後数年でおよそ二、三センチは高さが減じるだろう。しかし窓も扉も階段も、上下水道菅もクロゼットも、いずれもあるべき位置にしっかりとおさまり、用意をととのえている———それらを支える木が動きつづけていくことへの。
スイスの伝統のログハウスの構法に基づいて設計した別荘について語った一文
ピーター・ズントー(PeterZumthor 1943-)はスイス人の建築家。家具職人の息子として生まれ、家具の修行後、建築を学び、その後10年間史跡保護に携わったのちに建築家として独立。2009年にプリツカー賞(建築界のノーベル賞のようなもの)を受賞しています。
彼の代表作には石やコンクリート、ガラスを使ったものがありますが、著書「建築を考える」(みすず書房)の中では、建築の材料としての木材について深く語る部分が散見されます。
「こうやってつくった家の身部は、木材が伸び縮みするから、サイズが変わる、つまり動くし、はじめのうちはおそらく高さがかなり失われるでしょう。でも、そうした事実も家の特性のひとつとみなして、設計のテーマにいれていくんです」
巨大な木の塊をくりぬくくように空間をつくってみたいという、木造建築の構想について語った一文
ピーターズントーの建築の価値観として、どこか、材木が縮むこと、伸びること、に対して前向きで、その木が動くという事実を豊かな現象のようにとらえている気がします。
(ちなみに、2-3センチ縮むのはログハウスの話。日本の家のつくり方ではそこまでは縮みません。)
(Swiss Pavilion EXPO 2000)
「ぼくの母語はスペイン語ですが」、とその若い建築家が私に応じる。「木材、母、素材という単語はmadera,madre,materiaといって、おたがいに近い言葉なんです」。
若い建築家との語らいを引き合いに出した際の一文
私は学生のころに、大好きな建築家のこの本を読んで、本質的には、その言葉の意味が理解できていなかったように思います。
だからこそ、理解してみたいと、心から思いました。
なので、実際に自らの手で木にふれ、関りたいと思いアトリエデフに来ました。
(宮城県くりこまくんえんで燻煙乾燥されるのを待つ木材のようす)
アトリエデフの木材は、天然乾燥、もしくは人工乾燥でも中低温で乾燥させます。
高温で乾燥させると木の持つ油分が失われ、繊維が破壊されてしまい、木の本来の色艶や、構造的な強さが失われてしまいます。
だから、アトリエデフは、天然乾燥や中低温乾燥の木材を使っています。
でも、そうした木材は生きているので、動くし、伸び縮みするし、痩せるし、ひび割れたりもします。
(ちなみに、2-3センチ縮むのはログハウスの話。日本の家のつくり方ではそんなに縮みません。*2回目)
その事実になれていらっしゃらないお客様からは、不安になられたり、質問を受けたりすることもあります。
現場では、大工さんや家具屋さん、左官屋さん、建具屋さんと、木が動くことを前提として、納めや施工法を検討していきます。
どうしても動いてほしくないところで動かさないために、あるいは、動いたときにも綺麗に見えるように、どこにゆとりを持たせるか、どこを固定するか、そんな話の連続です。
そんな話をしていると、実際に生きている木を使っているんだなと、実感します。
生きてる木ってなんやねん、て感じですが。
でも、その感覚は、豊かな感覚のように思います。
お客様と一緒に外壁板に保護材(ウッドロングエコ)を塗ったときに、
「お、一枚一枚全然違うんだね。これは色が違うし、これは少し沿っている。ちょっと脂が出てるとこは、しみこまないんだね。」
なんて、気づかれながら、楽しそうに話されるのを聞いて、私も嬉しくなったりします。
(House Luzi 2002年)
この建築家にまつわる本を読んで、そしてアトリエデフに来て木に触れて、少し人生が豊かになったように思います。
デフに来て下さるお客さん、デフで家を建てて下さるお客さんとも、
同じ様な豊かさを分かり合うことが出来たら、嬉しく思います。
急いで文章を書くと難しい言葉になりがちです。工事部の漆戸航でした。
(出典:建築を考える, ペーター・ツムトア 著, 鈴木 仁子 翻訳,みすず書房,2012,)
(出典:ピーター・ズントー:建築物と建築プロジェクト 1986-2013年 全5巻,Scheidegger & Spiess; Slp版 2014)