別荘地の歴史と移住を可能にする暮らしやすさ〜軽井沢の昔と今〜
宣教師A.Cショーが避暑地として開拓し、100年以上の歴史を誇る軽井沢。標高1000mの冷涼な気候と、美しい苔庭や並木道が織りなす自然は、憧れの別荘地として今もなお多くの人を惹きつけます。
一方、ここ数年は移住先としても注目を集めています。東京から新幹線で最短62分とアクセスが良く、新幹線通勤というライフスタイルも浸透しつつあります。2021年には、東京ー軽井沢間を往復する1日の利用者数が1,000人を超えました。高級別荘地だけでなく、実は日常生活に便利な場所や、自然が残る環境で、そんな軽井沢の昔と今を見ていきましょう。
700万本のカラマツの植林で生まれ変わった高原と、A.Cショーとの出会い
別荘地・軽井沢のルーツは、約120年前、明治〜大正時代にかけてのこと。以前は中山道の宿場町であり、「軽井沢宿」「沓掛宿」「追分宿」の3つがありました。特に碓氷峠を越えた最初の軽井沢宿は、当時とても賑わったそうですが、道路開発や時代の変化とともに宿場町の歴史は幕を閉じることに。
実は、この頃はまだ荒れ果てた高原だけが広がる場所。「軽井沢の父」と呼ばれ、別荘文化の礎を築いた宣教師 A.C.ショー(アレキサンダー・クロフト・ショー)が訪れる前、当時の実業家である雨宮敬次郎(あめのみやけいじろう)が成長の早いカラマツ約700万本を植林し森を形づくったとされています。
標高1000mの涼しい気候と森林が織りなす凛とした空気。明治に療養と布教に訪れたA.C.ショーが感動し、避暑地として切り開いたのをきっかけに軽井沢は大きく変化していきます。「聖パウロカトリック教会」や「ユニオン・チャーチ」など町の各所に点在するキリスト教会、カフェ文化にパンやジャムの老舗店など、西洋文化の名残りを残すのはこのため。
その後、政財界の重鎮が別荘を建て始め現在の軽井沢の姿となりますが、転機は間違いなくこの2人との出会いでしょう。ショーは喘息の療養も兼ねて、雨宮敬次郎は肺病の転地療養で訪れたのがきっかけとも言われています。「屋根のない病院」とも呼ばれる軽井沢が、彼らにとって心と身体を癒す特別な場所であったのは間違いありません。
100年以上も美しい緑が守られてきた理由
100年以上もの間、別荘文化と景観が受け継がれてきたのは理由があります。その理由の一つが、町独自の条例「自然保護対策要項」。町は別荘地を”保養地域”と定義し、土地開発や建築に対し厳しいルールを敷いています。いわゆる別荘地と呼ばれる「第一種低層住居専用地域」では、
①土地の分筆は一区画1000㎡坪(302坪)以上
②「建ぺい率」「容積率」はそれぞれ20%以内
③建物は平屋もしくは、2階建てまで建築可能
の3つが代表的。
①は建物が密集することを防ぐため土地にゆとりを持たせる決まり。とはいえ300坪は相当広く、”別荘=高価な買い物”と言われる理由の一つ。②の「建ぺい率」「容積率」はその土地の中で建てられるサイズの決まりのこと。300坪の土地でそれぞれ20%なら建物は最大60坪となりますがこれは延床面積の話。2階建てなら30坪・30坪など、コンパクトにせざるを得ません。
他にも景観を損ねる大規模伐採の禁止と、様々な制約がありますが、それゆえに美しい景観が守られているのも事実。別荘地を実際に見渡してみると、自生する苔とシダに、モミジなどの広葉樹をそっと添える程度、という非常にシンプルな庭づくりをされている人が多いです。たとえ土地のオーナーであっても好き勝手せず、軽井沢の文化の一旦を担っている責任を持つこと、そしてこの環境を受け継いでいく意識が行き渡っているように感じます。
生活に便利で定住しやすい「中軽井沢エリア」と「追分エリア」
そんな軽井沢も実は、高級別荘地以外にも、地元の人が昔から暮らす定住エリアもあります。後者は土地の価格も手頃で気候的にも住みやすいのが特徴です。ここではざっと、軽井沢がどんなエリアに分かれているのかご紹介します。
1.旧軽井沢・新軽井沢エリア
別荘地として最も古いルーツを持ち、今でも変わらずブランドが確立されています。「JR軽井沢駅」やアウトレットがあるのもこのエリア。駅前の軽井沢本通り、そして旧軽井沢銀座には数多くの老舗店が軒を連ねます。
夏は観光客で賑わい最も軽井沢らしさを感じられる一方、ハイシーズンの渋滞対策は必須です。軽井沢は約2万人の人口に対して年間840万人もの観光客が訪れる町。ピーク時は外出を避けたり、抜け道を駆使して効率よく移動したいところ。
また美しい苔庭を作る湿気はときに難点にも。碓氷峠からの上昇気流によって発生する霧が最初に降るのが東に位置するこのエリア。建物内のこまめな通風やカビ対策が必要で、別荘として夏以外は使用しない場合、現地の管理会社に管理をお願いするのも手です。
2.中軽井沢・南軽井沢エリア
生活の便利さを重視するなら中軽井沢・南軽井沢エリアがおすすめ。駅や病院、小学校に保育園・幼稚園、スーパー、ホームセンターなど、生活インフラのほとんどを網羅しています。
特にスーパー「TSURUYA」は、軽井沢の食の宝庫と言っても過言ではなく、産地にこだわった野菜や肉、果物、内陸である長野県にも関わらず、新鮮な魚介類まで豊富に揃います。メニューを考え、食材を選び、自ら料理を振る舞う。別荘で過ごすそんな時間を彩ってくれるスーパーです。
南軽井沢エリアは、キャベツやレタスで有名な「霧下野菜」の育つ田園風景が広がる一帯。庭で野菜を育てたり、焚き火をしたり、ゆったりと暮らすことができます。2016年にオープンした大型の直売所「軽井沢 発地市庭」では県内外の新鮮な野菜が揃い、より暮らしが便利に。
さらに、大型アイスリンク、各種スポーツの競技場を備え、オリンピックの会場にもなった「軽井沢 風越公園」には、スポーツの習い事をする子供たちが集まり、合宿に訪れるアスリートチームの姿も。2020年には幼・小・中一貫校、「軽井沢 風越学園」も開校。広々としたこの環境は教育やスポーツの拠点として注目されています。
3.追分エリア
西軽井沢とも呼ばれる追分エリアの特徴は、暮らしの点で非常にバランスが良いこと。隣の中軽井沢エリアだけでなく、大型のショッピングセンターが集まる佐久市まで車でたった20分。
さらに西側エリアのため、湿気も少なくカラッとしています。中山道の名残りを残す追分宿は、地元の食材にこだわったパン屋や蕎麦屋をはじめ、ギャラリーや古本屋が並び、休日のお散歩にぴったりです。
−10℃を下回る真冬。寒さ対策と雪対策
夏は涼しい一方、軽井沢の真冬の寒さは厳しく−10℃を下回る日もあるほど。積雪量自体は少ないですが一度降った雪はなかなか解けてくれません。気をつけたいのは、家の”断熱対策”そして”雪道対策”。
国道は除雪車が入りますが、別荘地内の私道は基本的に自分で雪かきをしないといけません。定住を考えると奥まった場所は避けたいところ。車も4WDだと安心です。
この冬をどう捉えるかは人それぞれ。薪ストーブを焚いて、雪景色を眺める時間は冬ならではですし、「冬の軽井沢の一番美しい」と心惹かれ多少の不便も含めて楽しんでいるファンの人も多いです。
「教育」と「働き方」。軽井沢に吹く新しい風
日本で初めて林間学校が行なわれたほど、豊かな自然環境を持つ軽井沢。野外保育を行う「森のようちえん ぴっぴ」や上述の風越学園、自然体験をベースにしたラーニングプログラムを行う「ライジングフィールド 軽井沢」など、子どもたちの学びの環境もしっかり整っています。
公立学校に目を向けても、小学校では全国的に早いタイミングでタブレットを導入したり、風越学園との間で、先生同士が交流し互いに学びを深め合ったりたと、町が一体となり教育に力を入れています。
働き方の面では、町内には20ヶ所以上ものワークスペースが誕生し、「haluta」の運営する「232 WORK & HOTEL」や、古民家を改装した「HUB 緑友荘」など個性的な場所がたくさん。毎月1度「リゾートテレワークデイズ」も開催され、当日は対象のコワーキングスペースが無料で利用できます。
コロナウィルスの影響で、新幹線通勤で都内へ働きに出るライフスタイルが変化し始めています。自宅でのテレワークだけでは得られない、軽井沢の他のワーカー達との繋がりから生まれる新しい発想や仕事のきっかけを求め、様々な人がコワーキングスペースに顔を出しています。
人々の手で別荘文化と素晴らしい自然環境が大切に受け継がれてきた軽井沢。そこに移住者が加わり、新たな価値が生まれ始めている町なのです。